こんにちは
ヨハネは、イエスが真理についてよく語っていたと伝えている。
イエスがピラトに話しかけられたときのことだ:
ピラトは、”では、あなたは王なのですか?”と尋ねた。 イエスは答えられた。わたしがこの世に来たのは、真理を証しするためである。真理に属する者は皆、私の声に耳を傾ける。” (ヨハネ18:37)
それを聞いてくれ! イエスが生まれ、この世に来られた理由は、真理を証しするためだった。 真理に属する者は皆、彼の声に耳を傾ける。
イエスが井戸の女に話しかけられたときのことだ:
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことをもって父を礼拝する時が来る。 神は霊であり、神を礼拝する者は霊とまことをもって礼拝しなければならない。 (ヨハネ4:23-24)。 (イエスが“霊とまことをもって主を礼拝せよ “と言われた意味については、記事 “イエスは礼拝について何と言われたか?”を参照されたい。- 下記リンク)
イエスが従者たちに話しかけたときのことだ:
「そして真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。(ヨハネ8:31-32)
トマスは彼に言った、「主よ、私たちはあなたがどこへ行かれるのか知りません。どうやって道を知ることができますか?” 私は道であり、真理であり、命である。 私を通してでなければ、誰も父のもとに行くことはできない。 (ヨハネ14:5-6)
イエスが自分に反対する宗教指導者たちに話しかけたときのことだ:
「あなた方がアブラハムの子であるなら、アブラハムがしたことをするはずだ。しかし、今、あなた方は、私が神から聞いた真理をあなた方に伝えた私を殺そうとしている。これは、アブラハムがしたことではありません」。 (ヨハネ8:39-40)。
「あなたがたは、自分の父である悪魔から出た者であり、自分の父の欲望を行うことを選んでいる。彼は初めから人殺しであり、真理に立たない。彼は偽り者であり、偽りの父だからである。しかし、わたしが真理を語るので、あなたがたはわたしを信じないのです。あなたがたのうち、だれがわたしに罪を問うのか。わたしが真実を言っているのに、なぜ信じないのか。(ヨハネ8:44-46)
イエスが真理の霊について語られたとき:
“これこそ真理の御霊であり、世はその御霊を見ることも知ることもできないので、受け入れることができない。 あなたがたは彼を知っている。 (ヨハネ14:17)
“わたしが父からあなたがたに遣わす弁護者、すなわち、父から来る真理の御霊が来ると、わたしに代わって証言してくださる。”(ヨハネ15:26)
“
真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。(ヨハネ16:13)
イエスが従者たちのために父に祈っていたときのことだ:
“あなたの御言葉は真理です。 あなたが私を世に遣わされたように、私も彼らを世に遣わしました。 そして、彼らのために、私は自分自身を聖別する。 (ヨハネ17:17-19)
聖書で “聖別する “と訳されているギリシャ語には、分離する、聖別する、清める、浄化する、聖なるものとみなすという意味がある。 全体として、イエスは父に、自分の従者たちを真理によって清め、引き離すことを求めているのかもしれない。 この文脈での “in truth “とは何を意味するのか? イエスは父に、私たちを他の人たちから引き離すこと、あるいは他の人たちとは違う存在になることを求めているのだ。 私たちが他の人たちと違っている点のひとつは、真実を貫くということだ。
今日、イエスに従う者にとって「真理に属する」とはどういうことか。
今日、私たちのコミュニティでは真実はあまり重要視されていないようだ。 政治指導者たち(クリスチャンと名乗る者たちでさえも)が、真実を語る責任よりも、政権に就きたいという欲望を優先するのを目にする機会が増えている。 政治家に真実であることを期待しなくなったことは非常に悲しい事実であり、残念ながら、これは私たちのクリスチャン生活にも波及している。 クリスチャンの兄弟姉妹たちは、自分たちの政治派閥が正しく、他の派閥が間違っていると考えるようになっている。 彼らは、他派閥の指導者が嘘を言っていると言うが、自分たちの指導者も同じであることを認めない。 イエスの信者を名乗る者の中には、自分たちの派閥を政権に就かせるために、偽の情報を広める用意のある者さえいる。
イエスは言われた。“真理に属する者は皆、私の声に耳を傾ける”。(ヨハネ18:37)。 確かに、どの政治派閥に属するよりも、真理に属することの方が重要だ。
もちろん、フェイクニュースやプロパガンダが氾濫する昨今、私たちは読んだものが真実かどうか確信が持てないことも多い。 それでいいんだ。 真実が何なのかわからないということはよくあることで、それを受け入れる必要がある。 だから、真実かどうかわからないものは、ネット上で共有しない方がいいのかもしれない。 私たちはそれが真実であることを望むかもしれない。
私たちの愛する父が私たちを祝福し、私たちがこの困難な世界で神に仕えるとき、その知恵で満たしてくださいますように。
イエスは主である。
ピーター・オー
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