こんにちは
私たちの多くは、映画や本で、主人公(たいていは若者)が突然、これまでの人生で経験してきた世界がすべてではないことに気づく、という展開に慣れ親しんでいるだろう。 彼らは、もっと大きくてエキサイティングなことが進行していることを知り、その一部になる。 例えば、ハリー・ポッター、スター・ウォーズ、マトリックス、ロード・オブ・ザ・リング、メン・イン・ブラックなどだ。
神の存在を受け入れたとき、私たちに起こることはまさにこれなのだと思う。 突然、私たちは何か大きくてエキサイティングなことが起こっていることに気づく。 私たちが想像していたよりもずっと大きくてエキサイティングなもの。 そして私たちはその一部になれる。
イエスは、この大きくてエキサイティングなことを、最も特別な方法で描写している。 これは彼が父親に祈る言葉である:
「父であるあなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、彼らもまたわたしたちの内にいるように、あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるように・・・。「あなたがわたしをお遣わしになり、わたしを愛されたように、彼らを愛されたことを世に知らせるためです。(ヨハネ17:20-21;23)
イエスは、彼を信頼する者たちが互いにひとつになり、彼とひとつになり、父なる神とひとつになることを望んでおられる。 そして父なる神は究極の力である。 宇宙の究極の力ではなく、父は宇宙よりも大きく、長続きするからだ。 本当に、私たちの愛する天の父は究極の力を持っておられる。 そして、究極の力である私たちの愛に満ちた父は、私と一つになることを望んでおられる。
このような誘いにどう応えればいいのか。私にとって、論理的な返答はただ一つ。降伏する。あなたのやり方でやりましょう。私は、あなたがやっているこのとてつもなく大きくてエキサイティングなことの一部になりたいのです “と。それが論理的な反応だ。神がなさろうとしていることの一部になることよりも重要なことが、私にできるだろうか?
私にとって、論理的な応答は非常にシンプルな祈りに集約される。 たった4つの小さな言葉。 “御心のままに”
どのような状況においても、心からその祈りを祈ることができれば、大きく間違った方向に進むことはないだろう。
残念ながら、それだけではない。 愛する父に身を委ねることは論理的な反応である。 しかしもちろん、真実は、私たちはしばしば愛に満ちた父に反抗し、あるいは無視するということだ。 なぜそんなことをするのか? 論理的ではない。 このようなことを何十年も考えてきた私自身の結論は、私たちの愛する父に敵対し、父に反抗する、あるいは父を無視するように私たちを促す勢力が存在するに違いないということだ。 このことについてもっと読みたい方は、「悪魔はどのように教会を攻撃するのか」のセクションの記事をご覧ください。 まずは、このセクションのイントロダクションから始めることをお勧めする。 以下リンク。 (そう、私は悪魔を信じているし、その理由を喜んで教えてあげよう)。
私たちの愛する父が、私たちを祝福し、強め、その腕の中に安全に抱いてくださいますように。
イエスは主である。
ピーター・オー
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