こんにちは
迫害は、その初期から教会に対して悪魔が用いてきた戦略である。 あまりうまくいっていない。
初代教会では、クリスチャンたちは自分たちをユダヤ教の一部とみなし、イエスがメシアであると宣言したことでユダヤ教の宗教指導者たちから迫害を受けていた。 つまり、クリスチャンに対する最初の迫害は、ローマ人ではなく、ユダヤ教の宗教指導者たちによって行われたのだ。 ローマ当局は、ユダヤ人同士の内輪もめとみなして関心を持たなかった(使徒18:12-16参照)。
最初のユダヤ人迫害の影響は、エルサレム以外の地域にキリスト教徒を散らばらせた。
“その日 (ステパノの殉教の日)、エルサレムの教会に対する激しい迫害が始まり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの地方に散らされた。”(使徒8:1)
クリスチャンが散らばったということは、さまざまな地域の人々に福音を伝えたということであり、教会は成長した。
「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ中の教会は平和を得、建て上げられた。 主を畏れ、聖霊の慰めのうちに生きることで、その数は増えていった。“(使徒9:31)
事態が変わったのは、ローマ国家がユダヤ人を迫害するようになってからで、この迫害が始まったのは、ユダヤ人の宗教指導者たちがクリスチャンを迫害していたからかもしれない。 これが理由だと断定することはできないが、クラウディウス帝が紀元前51年頃、すべてのユダヤ人をローマから追放したことは知っている。 ローマの歴史家スエトニウスはこう述べている、
「ユダヤ人がクレストゥスの扇動によって絶えず騒ぎを起こしていたので、クラウディウスは彼らをローマから追放した」。
“Chrestus “は “Christ “のスペルミスかもしれない。 つまり、追放の原因となった騒動は、ユダヤ教の指導者たちによるクリスチャンへの迫害だったのかもしれない。
その数年後の西暦64年、ローマ帝国は、ユダヤ人社会とは別個の存在としてローマ当局に認められたクリスチャンに対して、より深刻な迫害を開始した。 火事が制御不能になり、ローマの大部分を焼いた。多くの人が火事を起こした張本人と考えていたネロ皇帝は、その責任をキリスト教徒に押し付けた。 次の記録はローマの歴史家タキトゥスによるものである。
「その結果、ネロはその報告から逃れるために、罪を着せ、民衆からキリスト教徒と呼ばれ、その忌まわしい行為で嫌われている階級に最も精巧な拷問を加えた。 その名の由来となったキリストは、ティベリウスの治世に、私たちの総督の一人であるポンティウス・ピラトゥスの手によって極刑を受けた…」。
これが、ローマ当局による約2世紀半にわたる迫害の始まりだった。 これらの迫害は、この時期の大半において一貫したものでも組織的なものでもなかったが、しばしば残忍なものであり、多くのキリスト教徒がこの時期にひどい拷問を受け、処刑された。 しかし、教会はこのような迫害–最も暴力的な迫害でさえも–を乗り越えて数を増やしていった。 だから、迫害という戦略はうまくいかなかった。 ところが今、悪魔は見事な新戦略を思いついた。 新しい皇帝コンスタンティヌスが登場し、キリスト教を公然と認めた。 すべてが変わった。 教会は初めて尊敬される組織となり、皇帝から承認され、それゆえ、世渡り上手な人々に人気があった。 その指導者たちは、ローマ帝国の権力者の中でも最も裕福で強力なメンバーとなった。 賄賂と汚職は教会の高い地位を買うために使われた。 名誉を求めるな、謙遜の重要性、神と金銭を愛することの不可能性についてのイエスの教えはどうなったのだろうか? まあ… おそらく、自分で解決できるだろう。
教会を裕福で尊敬される組織にしようという悪魔の戦略は見事で、うまくいった。 (悪魔はどのように教会を攻撃するのか?– 答え3。教会を組織化することによって”下記リンク)しかし、私たちの愛に満ちた天の父は、愛する子供たちの心の中で働くことを決して止められることはなかった。
私たちの愛する父が、私たちを祝福し、私たちが神に仕えるとき、私たちの安全を守ってくださいますように。
イエスは主である。
ピーター・オー
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